STORY:役人町の町家 02

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京町家は、「京都らしさ」の代名詞のひとつ。
世界中の人が「美しい」と感じる町並みは、京町家が建ち並ぶエリアにあります。

京町家とは、昭和25(1950)年以前に京都市内で伝統木造構法によって建築された家屋のこと。市内だけでも約4万8000軒(平成20年)が残りますが、毎年約500軒が壊されており、空き家率は約10%にものぼります。とりわけ、「役人町の町家」のような大型町家は、改修および維持に多額の費用が必要となり、保存が難しいとされています。

ところが、前オーナーの田中熙士(ひろし)さんが、売却にあたって出した条件は「元の家の姿を残す形で使ってもらうこと」。生まれ育った思い出の家が壊されていくのは、「胸が裂けるような思いがする」と、更地にして売るという選択肢を退けたのです。

前オーナーの思いは、どのようにして次の世代へと受け継がれていったのでしょうか?

きれいで快適な町家なら、住みたい人がいる

まずは、京町家をめぐる状況について、かいつまんで共有したいと思います(よくご存知の方は、ちょっと飛ばして読んでください!)。
ざっくり言うと、京町家が消えていく理由のひとつは、「経済合理性」です。

更地にして高いビルを建てれば、多くの部屋をつくれますし、その分の賃料も得られます。ところが、改修費をかけて京町家を残したところで、収益性はさほど高くはなりません。むしろ、更地の方が高く売れるというケースもあるほどです。

もうひとつは、京町家に対する「漠然とした不安」です。「改修費が高そう」「工事の依頼先がわからない」「寒そう」と敬遠されるうちに、空き家になって荒れてしまうことも……。

そんななかで、京町家の直し方や住み方を伝えることで、その保存に寄与しているのが、京町家のコーディネイトを得意とする不動産屋さんたち。「役人町の町家」と現オーナーの縁を取り結んだのも、株式会社いえ屋 代表取締役社長 田中淑久さんでした。

田中さんは、京町家の取り扱いで知られる、株式会社八清で28年働いたのち、2016年に独立。やはり、京町家をメインに扱う不動産会社・いえ屋を創業しました。

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株式会社いえ屋 代表取締役社長 田中淑久さん

田中淑久さん(以下、田中さん)

「私が本格的に京町家のリノベーションを手がけるようになったのは15年ほど前。八清で初めて、京町家を改修したモデルハウスの一軒目をつくったときです。『こんなにきれいになるのか』『ここまで快適に住めるのか』と、予想以上の反響があり、予想以上のお値段で売れました」。

これをきっかけに、京町家の取り扱い件数はどんどん増え、田中さんは京町家のリノベーションと販売を中心に担当することになりました。実は、「役人町の町家」は、田中さんが八清を退職する直前に仕入れた物件だったのです。

「お隣さん」としての出会いがご縁となって

いえ屋では、「素材の良さを活かして、できるだけ元の姿に復元したい」など、お客さんの要望にきめ細やかによりそい、リノベーションをお手伝いしています。ところが、「役人町の町家」の現オーナー、株式会社おおきに商店の植松俊之社長との出会いは、まったくの偶然からでした。

田中さん「本当にたまたまなんですよ。縁あって買わせていただいた町家で、境界確認の立ち会いをお願いした隣接地のオーナーが植松社長だったんです」。

植松さんもまた、大阪を中心に総合不動産業を営んでいます。八清からの情報で「役人町の町家」を知った植松さんは、田中さんに相談しました。まさか、田中さんが前職時代に仕入れた物件だとは知らずに……。

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役人町の町家 間取り図

もちろん、「あの物件なら間違いありませんよ」と田中さんは太鼓判。八清に「絶対に町家を残すオーナーさんだから」と植松さんを紹介したことから、契約成立に至ったのだそうです。

田中さん「植松社長は『いつか必ず、ヨーロッパのように古い家の資産価値が上がるときが来る。自分が生きているかぎり、会社があるかぎりはこの家は絶対につぶしません』と言ってくれました。目先の損得勘定ではなかなかできないことだと思います」。

こうして、元オーナーの田中さんの「元の家の姿を残す形で使ってもらいたい」という思いは、いえ屋の田中さんを介して、植松さんへとつながっていったというわけです。

土地をさわるなら、周りも耕さないと

植松さんが、不動産業を営みはじめたのは28歳のとき。現在は、「おおきにコーヒー」「おおきにおにぎり」「おおきにホテルズ」「おおきに工務店」などの事業を行うグループ企業「おおきに商店」も経営しています。

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植松俊之さん(以下、植松さん)

「地面というか、地球をさわるようなイメージの仕事をしているんです。地面は、そこを使う人がたくさんいますので、すごいつながりが出て来るんですね。そのつながりをつなげて、つなげられて今日までやっているような感じです」。

たしかに! ご自身が所有されている家の隣接地を通していえ屋の田中さんに出会い、そのご縁によって「役人町の町家」を購入する……という流れは、まさに「つながりをつなげて、つなげられて」というイメージにぴったりです。

植松さんが「役人町の町家」に惹かれたのは、蔵や離れの茶室などがあるユニークなつくりを見て「オンリーワンのものをつくってみたい」と思ったから。「あの大きさがあれば迫力もありますし、新しい価値を創造できるのではないかと信じてやっています」と話します。

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役人町の町家の庭にある離れ(茶室)。

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こちらは「蔵」。前オーナーが住まいにしていたこともあるという。

植松さん「ただ、建物の価値を上げることと、地面の価値を上げることは全然別の話です。地面は、周りとのつながり、地域の色や特性とセットになって初めて上がっていくと思っています。だから、京都にたくさんある古い、いい町家が残していくことができれば、町の価値もまた高まってくると思っているんです」。

京町家には、つくり手の愛情が乗り移るイメージがある

「役人町の町家」は今後、ゲストハウスやカフェなどの利用が考えられています。「医院」から「宿泊・飲食業」への用途変更に伴い、建築基準法に適合することが求められます。そうなると、「元の姿に戻していく」改修は非常に難しくなります。

なぜなら、昭和25年(1950)に制定された建築基準法は、京町家のような伝統構法を「既存不適格」としているからです。しかしそれでは、「建築基準法の不適格建物」という理由から、文化的に価値のある建物が、その意匠や形態を失ってしまうことになります。

そこで、京都市は平成24年(2012)に「京都市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例」を施行。京町家等の伝統的な建築物については、建築基準法の適用を除外することにしました。

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「役人町の町家」も同条例による指定を申請。1年にも及ぶ時間をかけて、同条例の対象建築物の指定を受けることができました。もちろん、その間は改修工事を進めることはできません……。いえ屋の田中さんが「目先の損得勘定ではなかなかできない」言うのも、こういった背景があってのことです。

植松さん「前オーナーとの『家を残してほしい』と約束もありますし、また自分自身が良いと思うものしか触りたくないという気持ちもあります。良いものをつくれば、きっと人は寄ってきてくれるでしょうし、そこにたくさんのつながりが発生します。そのつながりで町を盛り上がるような場所をつくってみたい」。

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2018年7月、工事着工のお祓いにて。この家の工事に関わるみなさんの集合写真。

今回の改修は、多くの京町家の再生を手がけてきた、住まいの工房の代表であり建築家の松井薫さんと山内工務店がタッグを組んで行っています。植松さんは、「京町家を触っている人たちには愛情を感じる」と目を細めます。

植松さん「つくっている人の愛情が建物に乗り移っていくようなイメージがあります。好きじゃないとできない仕事ですよね。僕は好きなことをしている人の顔を見ると楽しいし、そういう人と接して話を聞かせていただくだけでも非常に勉強になっています」。

このアクションは必ず会社のプラスにもなる

今、植松さんご自身も、京都に残された歴史ある町家の一軒に住んでいます。「職人さんの手仕事」住んできた人の歴史や思い」を、ご自身の五感で感じていることも、「京町家の不動産的な価値」を、経済合理性とは異なる部分で見出すことにつながっているようです。

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植松さん「木の柔らかさ、ぬくさが好きですね。使い込むと丸みを帯びてきて。『役人町の町家』も、できるだけいろんな場面で開放して、まちの人たちの利になるように使ってもらいたいと思います。誰も使わない場所には価値は生まれませんから」。

「役人町の町家」は、2019年の春には生まれ変わった姿でオープンする予定です。宿泊施設や飲食店として、「心に残る良い体験、良い思い出ができる場所になれば、またあの建物の価値が上がる」と、植松さんは考えています。 

植松さん「まちの人たちが喜ぶ場所になっていけば、『役人町の町家』は、さらに受け継いでもらえるでしょうし、地域の価値が高まっていくと思っています」。

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この空間が新しくなり、新しいコミュニティの場となっていく。

町のなかに「ここに来てよかった」と思われる場所が生まれることで、その町を好きになる人が増えて、周囲の地域に「ここに住みたい」「このあたりで働きたい」と思うようになる。その連鎖のなかに、不動産の仕事があると植松さんは考えています。

植松さん「当然、このアクションは我々の会社にとってもプラスになると思っています。僕自身もあの家に人生を乗せていますから。ただ、町を良くするには、長い時間をかけてきっちりやる必要があると思いますし、お金だけが収益だとは思っていません。ほんまに喜んでもらえる場所にできたら、最終的にプラスになる場面が来ると思ってやっています」。

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夏に行われた工事着工のお祓いのあいさつでは、感極まって声を詰まらせたという植松さん。「一軒の家には、触れた人の数だけの思いが残るんです」と話してくれました。そして、その思いが多ければ多いほどに、豊かな場所になっていくのだ、と。次の記事では、実際に「役人町の町家」の改修計画に携わった、松井薫さんにお話を伺います(つづく)。

 

(取材・文:杉本恭子、写真提供:株式会社いえ屋)